理念・歴史

当歯科医院の治療方針

  • お口の痛みと不快感を取り除くこと
  • お口がいつまでも衛生的に保たれること
  • 歯を支えている歯ぐきを強くすること
  • 気持ちよくかめるお口にすること
  • すてきな笑顔を創りだすこと

百瀬歯科医院の歴史

十条の地で3代78年の歴史

Q.歯科医院が同じ場所で3代続いているのはとても貴重なことですし、歯科界の中でも珍しいことです。

百瀬保
理事長
はい

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1946年~

1980年~

Q.康仁院長が3代目に当たりますが、理事長が歯科医師になられたのはやはり規定路線ということでしょうか?

理事長
それはですね、やはり子供の頃から、父親の診療する姿を見て育ちましたし、祖父だとか、祖母だとか、母だとか、みんなから、2代目として期待されているのが子供心にもひしひしと感じていたのは事実です。その後高校卒業の進路を決める頃になって、父からは絶対に歯科医師になるようにとはいわれませんでしたが、子供の頃からの思いが強く歯学部に進学しました。

1950年ごろの百瀬歯科医院

保理事長(左)と初代院長(右)

百瀬歯科医院初代の頃の歯科医院

Q.理事長が子供の頃から青年期にかけて、1950年代の歯科医院のお話を聞かせてください。

理事長
健康保険制度が施行されたのが1953年ですから、私の子供の頃は健康保険がなく、父の患者様は全て自費でした。私の子供の頃は両親2人で開業していました。また、その頃は一般的に歯科での保険制度がなく患者様も少なく家内工業のような環境で、技工は夜遅くまで父が自分で行っていました。

Q.その後国民皆保険になってどのように変わりましたか?

理事長
健康保険制度が導入されてからは、患者様が増えて、勤務医と3人で、朝9時から夜9時までの診療を行っていました。

Q.当時は、百瀬歯科医院で現在力を入れています歯周病の治療に関してどうでしたか?

理事長
歯学部で歯周病自体講座がありませんでしたし、歯科医院では歯周病という概念はなかったですね。ですから歯科衛生士の仕事も現在のように歯周病や予防処置ではありませんでした。きちんとしたプラークコントロールだとか、PMTCだとかは当時ありませんでした。

北米の歯科医療が水先案内人

Q.百瀬歯科医院が現在のようなプラークコントロールなどの予防業務を歯科医院の診療の一つの柱になさったのは、いつからですか?

理事長
国民全てに健康保険が導入されて、父は非常に多くの患者様を診ていたのですが、どうしても一日に診る患者様が多いため、そこで一人一人の患者様に十分な時間をとって、予防を含めた質の高い診療を行う事ができませんでした。1960年ぐらいだと思いますが、再度勉強をし直して、一人一人の患者様に十分な時間をかけて診療をする方向に移行していきました。

Q.勉強し直したのはやはり海外でですか?

理事長
父は当時真鍋研修会という日本のスタディクラブの草分けに入りまして、そこに集まる仲間とスタディクラブを作って、互いに研鑽し、時々アメリカに研修に行って、それらを診療に生かし、十分な時間をとるために、仲間といっしょに日本で初めてアポイント制度を導入しました。

Q.アポイント制とそれ以前の診療とを比べて、何が具体的に違うのでしょうか?

理事長
今では当たり前のことですが、一口腔単位の治療をきちんとしていくということです。初診の患者様が来たらレントゲンを撮って、あの当時でもカメラで口腔内撮影をして、その写真を見ていただき説明してくということですね。今で言うインフォームドコンセントです。そうすると、必然的に多くの患者様を診ることができなくなってしまいます。当時は一人の歯科医が30人の患者様を診るのは珍しいことではありませんでしたが、百瀬歯科医院では5~8人しか診ることができませんでした。

Q.お父様の代の百瀬歯科医院は、保険制度の導入の時代の波からはずれて、アポイント制度と歯科先進国のアメリカ型診療所の基盤ができた時代ですね。確か、理事長のお父様のグループが日本にLDパンキー先生の歯科医療人としての哲学を紹介したと聞いていますが。

理事長
そうですね、現在の日本の診療のスタイルや考え方は、当時の父たちのグループの存在が少なからずあるように思います。

補綴中心の診療に歯周病と矯正治療が加わる

Q.理事長の代に補綴治療の診療に矯正が加わったのですが、どのような経緯があったのでしょうか。理事長は矯正歯科の教科書的な著書も書かれていて、歯科界では大変著名ですよね。

理事長
歯学部を卒業して4年間一般の診療室に勤めたのですが、その医院の院長は歯周病治療で有名な方でした。その医院の中で、私は当初子供を中心に診ていたので、自然と小児歯科と矯正に興味を持つようになりました。また成人の治療も多く手がけ、歯周病と矯正も含めた包括的診療に傾注していきましたね。

Q.小児、矯正、ぺリオと、お父様の代との違いがこの当時芽生えてきたのですね。

理事長
本音のところは、矯正にはもちろん興味はあったのですが、父を超えたいというような、あまりにも父が偉大な歯科医だったので、一般歯科として同じ路線で行っても抜けないのではないかなと。ちょっと方向を変えてみて、というのも多少ありました。父も、自分と違ったジャンルでやっていくのも最初は面白いかなということでOKしてくれました。それで、矯正の専門の方にいったんですね。矯正は、矯正治療の第一人者の先生の診療所と、福岡歯科大学矯正学教室で3年間勤務して勉強し、百瀬歯科医院に戻ってきました。

歯周病に取り組む現在の百瀬歯科医院の形ができあがる

理事長
一口腔単位、患者様とのコミュニケーションを密にして診療を進めていくと、患者様の流れは小児、矯正、成人という流れが自然にできてきました。
百瀬歯科医院に戻ってきて矯正医として一線で診療すると共に、歯周病にも本格的に取り組むことにしました。そこで歯科衛生士を募集して、歯科衛生士による歯周治療とメンテナンスを確立しました。

理事長から百瀬院長へ

Q.百瀬院長が、歯科医師になられたのは理事長と同じような理由からですか?

院長
ほぼ同じような動機です。環境的にもこういう状況でしたし、私が小学校2年まで祖父も健在でしたから、尚のことです。またやはり、医療というものは実際に人の役に立つ職業だと思っていましたから。

Q.父親では存在が近すぎて照れ臭いというのもあると思います。それにしましても、理事長が有名なだけに院長はプレッシャーがありませんか?

院長
学生の頃から、僕は相手を知らないけれど、向こうは僕をというか、父を知っているということはありましたね。矯正の方へいくのかとかそういう話はしましたが、結果として日本大学医学部の口腔外科に勤務し、百瀬歯科医院に戻ってきました。

Q.医学部の口腔外科医で研修した経験を百瀬歯科医院でどのように生かしていくのでしょうか?

院長
祖父にあたる初代院長、父の2代目院長の時代で、百瀬歯科医院は現代の歯科医療における一口腔単位の包括的治療をするための知識、技術は患者様に十分に提供できる水準を達成してきました。現在高齢化社会を迎え、今後は2055年には5人に2人は高齢者になるといわれています。現在、糖尿病の疑いがある人は10人に1人、高血圧は3人に1人です。このような状況の中で、医科全般的な知識がないと臨床はつとまりません。

Q.なるほど、具体的に実際の診療でどのようなことが考えられますか?

院長
「以前、歯を抜いたときに血が止まりにくくて不安だ。」そういった患者様が歯科医院にかかるときに安心して安全に治療を受けていただける歯科医院がこれから時代の歯科医院の在り方と思います。

Q.現在3代目の院長を務められるてる苦労も多いと思いますが、遣り甲斐も多いと思いますがいかがでしょうか?

院長
先日もあったのですが、それは初代の祖父が作った入れ歯をした患者様が来院してくれて、その方のお口を拝見している時です。祖父、父、そして私と3世代に渡り一人の患者様のお口の健康をサポートできることは、何物にも代えがたい歯科医師としての喜びですし、百瀬歯科医院の宝だと思います。